新春随想「寿元に救われて」
藤井美樹(日本東洋医学会名誉会員・医師)
生来の虚弱児で、どうにか医師になれました。自分でもよく生き延びてこれたと思います。
顧みますと、父母はもとより、周囲の有縁の人たちのおかげだと思います。
患った病気は、数知れず。とくに苦しんだ病気(怪我)は、日赤病院勤務中に、内科のリク
エーションで、隣県県の温泉地に行く途中。ベテランの運転手でしたが、患者さんの外車を
借りて運転されたためか、山中の崖下へ二回転して墜落しました。二回目の回転で落下す
るとき、この世の終わりと思いました。
私だけが右大腿骨骨折で、それから入院生活、リハビリ治療を受けました。今でも右下肢に
障害が残っていますが、生命が助かったのですから、ありがたいと思っています。
その後、上京し、漢方の勉強を始めました。過労が続き、今度は左脳の血管障害で、右半身
不随、言語障害となり、動けなくなりました。このときも、これで再起することができないと考え
一時は相当悲観しました。
しかし、自分をよくするものは、自分しかないと、生命(いのち)があったことを感謝し、自己リハ
ビリに精進しました。幸い、何とか動けるようになり、医師として仕事ができるようになりました。
そんな時に、日本橋の丸善で、加藤林四郎著「医食同源」を見つけました。早速、寿元を手に
入れたくて、横浜の会社へ電話し、都内在住のSさんを紹介されました。その日は、あいにくの
雨で、日本橋の診療所の診察を終えて、Sさん宅を訪問しましたが、夜ですっかり暗くなり、雨
は降り続き、右半身は寒さと疲れで麻痺がひどくなり、雨傘を持つのが大変でした。
何度かあきらめて、帰宅しようかと思いましたが、何としても寿元を手に入れたくて、途中で何
回か電話をかけ、ようやくSさん宅にたどり着き、寿元を一缶わけていただきました。
寿元をいただいているうちに、疲れが少なくなり、顔の色つやがよくなり、全体として元気になっ
てきました。これなら、また仕事をつづけられると思い、気持ちが明るくなりました。
その後、寿元先生にお目にかかり、たびたびご講演を拝聴し、沖縄や東北へのご講演のお伴
をさせていただきました。私所有の「医食同源」の扉には、寿元先生の筆で、「一幹万枝」と書
いていただき、大切にしております。
病が縁で寿元と巡り逢いましたことを感謝しております。
「医食同源」2004年新春号掲載
新春随想「日々反省の生活」
村田龍雄(村田医院院長)
新年おめでとうございます。現在、私は八十八歳です。この歳まで元気に生きられたことは、感謝
でいっぱいです。現在、私は、生意気ですが・・・。
「人に優しく、自分に厳しく、立派な人間になれ」を信条として、一日一日を反省しながら生活して
おります。前々から述べさせていただいたこと、即ち、因果応報を考えながら・・・。
食生活は、身土不二に則って、玄米、菜食、海草、小魚、それに寿元を加えています。
呼吸は、出すことを先にすれば、吸気は自然には入ります。運動は、筋肉の鍛錬を考え、早歩き
(自分に合ったペースで決して無理をしない)と、手、足、口の運動で脳の活性化を図ります。
精神面では、人間は自然とともに生かされていることを考え、ヨガの精神、感謝、懺悔、下座、奉
仕、愛の心で、今まで学んだことを反省しながら実行します。
趣味として、詩吟を三十年続けております。これは詩の内容に感動しているとともに、発声が健
康に繋がることを考えたからです。もう一つ、健康のためにゴルフもやっております。
最近、素晴らしい健康の詩に出合いましたので、紙上で披露させていただいて、新年のご挨拶
とさせていただきます。
正食の詩 大井光陽記
心ヲ正シ食ヲ正シ姿勢ヲ正ス
養生ノ精神ハ濁世ヲ救フ
幸福ノ根源ハ健康二在リ
咀嚼セシ神仏祖先ノ恵ヲ
「医食同源」2004年新春号掲載
新春随想「輝く寿元」
稲國良子(カトリック教会伝道師)
昭和七年七月(1937年)、私はキリスト教(プロテスタント)から、ローマカトリックの洗礼を授かりま
した。そこで、洗礼名として七百五十年前の聖女「くらら」の御名をいただきました。カトリックで洗礼
を授かるときは、必ず霊名をいただきます。
私は、二冊の聖人伝を読みました。「くらら」という名は、「輝く」とか「光」の意味がありますので、素晴
らしいと思いました。一度しかない人生は、良い名にあやかりたいと思いました。しみったれな人生で
はなく、照り輝きたいことは誰しも同じと思います。そこには、自分だけではなく、私に存在を与え給う
た神様の御恵みと自分の知恵と判断力をも使わねばなりません。それに、人間とは、動物同様な肉
体、また動物と全く異なる霊魂の結合ですから、幸せになるために、二つを考えるべきと思います。
そこで、私は、世界最大のローマカトリックを信仰しました。そして、肉体のために最高と思っている
「寿元」を三十一年前から愛用し続けています。神様が創造し給うた大豆、そして、未知生長因子と
の繋がりに驚きました。この知られざるものは、神秘です。いくつかの働きのある寿元をいただくたび
ごとに、私は感謝の心で十字をきります。皆さんも、身内、友人、知人に寿元の種まきをして下さい。
三ヶ月前でしたが、おしゃれな若い女性二人が、バス停にいる私にインタビューしました。「あなたの
ほっぺは、ピンク色で、つやつやしていますね。化粧品は○○堂ですか、××ですか?」。私は、すか
さず「くらら堂」ですと答えました。女性は「それはどこで売っていますか?」と。そこで、私が寿元の説
明をしようとしたところ、ちょうど女性たちが乗るバスが到着。二人は名残り惜しげな表情をしながら、
去っていきました。残念無念!
顔だけの化粧ではなく、内的な幸せと肉体の健やかさをもお伝えしたかったのに・・・。
私が持ち歩くバッグには、化粧品は一つもありません。その代わりに、「医食同源」紙が入っており
ます。これは、心の灯です。心に光をもたらす読み物です。「時があろうが、なかろうか」という聖句
の通り、人の顔色を見て、「どいぞ、読んでください」と差し上げています。
内的に輝きがなく、欲で固まった人々は、不幸をもたらしますでしょう。物欲、肉欲、支配欲、名誉欲
などで満ちた人々が、幸せな世、人生は築けません。もし、築いても、また跡形もなく滅び失せて行き
ますでしょう。
寿元は、心も穏やかになります。方々で催される寿元全国大会で、素晴らしい体験談が出ています。
実に、寿元は輝いています。この新年も、寿元愛用者御一同のいやます御幸せをお祈りいたします。
ー南の大海原で今年九十三歳になった、くららよりー
「医食同源2004年新年号掲載」
新春随想「世界の結び」
田中愛子(食養研究家)
お正月の古来のおせち料理は、日々、私たちが摂っていきたいミネラルを含み、薬用にもなり、
それにまつわるさまざまなことわざも盛り込んでおります。三千年の日本の歴史で培われた命の
探求が含まれております。
それは、ご先祖様が子々孫々の健康と幸せのため、身をもって実験し、実証して伝えられてきた
理想食です。その国の風土、気候に合わせ、体によいものを伝承してきたのです。
各国々には、まな伝統的な食生活が守られておりますが、日本は急激にグルメを取り入れ、食源
病が現われてまいりました。病気は、大自然と命の調和が破れたときのお知らせです。大きな視
野で生命と大自然の法則に合わせ、調和のある生き方をし、日々の養いを大切にしていくことを
心掛けたいものです。
寿元グループにご縁をいただいている方は、ありがたいことと存じております。素晴らしい生命力の
働きのある寿元をいただきながら、毎月の医食同源」紙でもご立派な先生方の「食」についてのご
指導もあり、羅針盤をしっかり持って守られている船のように人生航路を進んでおられ、素晴らしい
ことと思います。
世界の至るところで戦いがあり、それぞれが不安な恐怖に駆られています。物資文明が活発にな
り、自然環境は追いやられ、地球は傷んでおります。人々はすべての命を大切にすることに気付
かなくなってきたのでしょうか?
現在は、自分の身は自分で守られなければならないと思います。もっと身近な食生活も、環境も大
切にしましょうよ。私たちはもともと大自然の子なのですから・・・。大自然は、こんなときも命やエネ
ルギーを送り続けております。私たちは生かされているのです。
夜、寝ているときも、心臓は止まらず働いています。朝は輝かしい太陽が昇り、夕暮れには静かな
夜を繰り返してくれます。当たり前のような繰り返しですが、自然に抱かれ生かされているのです。
その大きな力を見つめ、感謝していきたいものです。不幸な時代こそ、輝く幸福を勝ち取ってほしい
と願っております。
私は、幼少から病弱で十歳代で終わると、各お医者様に言われておりました。現状の体質で言わ
れ、その原因の説明もありませんでした。そのころは、医学で食事の指導がなく、肉と果物主体の
栄養学が盛んでした。その節、故桜沢叙如一先生にご縁をいただき、病の原因、体質の改善をご
指導いただきました。自然食により、弱かった家族もみな助かりました。
私も八十歳近くなりましたが、いまだ元気に自然食運動に携わり、働かせていただいております。
昨年十月二十六日には、パリで桜沢先生の生誕百十年の祭典があり、日本からも二十人ほどで
参加いたしました。マクロビオティックは、現在、世界辞典にも載っているほど有名になりました。
このマクロビオティックとは、大自然(大きなマクロの世界)と命の調和の意であり、その接点に、
食物の重大性を説いております。
最近、欧米では、栄養学、医学の方向性が変わってきました。東洋の医学、哲学に向かってきた
ようです。一昨年、昨年と、ドクター佐藤が血球(血液)の、食物、病気の状態の映像をお持ちくだ
さり、講演をしてくださりました。非常に説得力があり、ミクロとマクロのドッキングをしてくださいまし
た。
これからも東西の思想が結びつき、世界の結びができますように念じております。地球環境を大切
にしていくこと、すべての生命がもっと健康になっていくことは自分自身を癒やすことになるのだと思
います。私どもの願いも、お台所の片隅からですが、世界の各ご家庭が正しい食生活と健康を確立
し、その結びが生命の語り合い、世界の結びになっていくものと念じ、世界を駆け回っております。
「医食同源2004年新春号掲載」
新春随想「この恐ろしい矛盾!」
渡部裕人(ビバリーヒルズクリニック院長・医博)
あけましておめでとうございます。
寿元と乳酸菌を同時に摂取すると、寿元に含まれるオリゴ糖を餌に、どんどん乳酸菌は腸内で繁殖し、
腸内は善玉細菌で満たされる。
さて、ハワイ諸島の最大の島は、ハワイ島。この島の最も高い山は、四千二百五bのマウナケア山だ。
現地語でマウナは「山」、ケアは「白い」を意味するから、「白山」というわけだ。マウナケアは宇宙に最も
近い山と言われて、そこから見る星々は、得も言われぬ美しさだ。日本も最新鋭スバル望遠鏡で、毎夜
宇宙の神秘を観察している。
マウナケアの南方には、キラウエアー火山があり、今なお、地球内部から灼熱のマグマを噴出する姿は
原始の地球を思わせ、恐ろしくも美しい。
世界的に有名な動物カメラマン島田正氏は、パプアニューギニアの中心部、タリ盆地でさまざまな極楽鳥
(またの名を風鳥)を見せてくれる。この世に、こんな美麗な鳥がいるだろうか!
ケニアの南方、タンザニア国境沿いにセレンゲティー国立公園がある。タンザニアの北方にンゴロンゴロ
自然保護区がある。これらの草原に棲息するチーターは、獲物を捕捉するときに、時速百十五`は出す。
恐ろしいほどのスピードで、実に姿が美しい。
この宇宙も、その宇宙の一部である地球も、そこに生を得た動物も植物も、実に多種多様であり、また
美しい限りだ。がしかし、人類は唯の一種、白人、黄色人、黒人はあっても、ホモ・サピエンスだけだ。
猿は原猿から真猿、類人猿と多く棲息する。
われわれホモ・サピエンスは、二十万年前にアフリカの大地溝帯で発生し、北へ東へと棲息地を拡大し
てきた。その前頭葉のサイズは、他の人類、例えばネアンデルタール人に比べて、図抜けて大きく、
圧倒的に強い存在となった。そして、他の人類、例えばネアンデルタール人らを絶滅させ、今や世界に
君臨する。
そして悲しいことに、今やホモ・サピエンス同士の闘いを続けている。イスラエルとパレスチナ、インドと
パキスタン。チェチェン紛争。コンゴ紛争。数えあげればきりがない。私にとって恐ろしいのは、クマでも
蛇でもない。人類が最も恐ろしく、かつ愛おしい。この恐ろしい矛盾!
「医食同源2004年新春号掲載」
新春随想「私の初夢」
譜久里勝秀(全国新幼児音楽教育研究会会長・ミュージックステップ創始者)
最近、電車の優先席に、「この付近では携帯電話の電源を必ず切りましょう」と表示されるようになり、
体の不自由な方への優しい配慮が感じられます。
ところが、乗客の中には、とんでもない者がいて、困っている人へ席を譲る気配もないどころか、その
優先席にどっかりと座り込み、片手にケータイを持って、メール打ちに専念しています。優先席の対面し
た六人掛けのコーナーは、このような不埒(ふらち)な元気者?に独占されることしばしばで、せっかく
の関係者の配慮は、ほとんど生かされません。
「ああ、日本よ、何処まで落ち込むのか?」こう嘆くのは私一人でしょうか?この人たち、一体どんな
環境で育ったんだろうついつい、私は、この人たちの幼児期のことを考えてしまいます。
幼稚園などの現場では、クラスに一、二名の確率で、グループに溶け込めず、部屋の片隅でぼんやり
している子がいます。
ある保育園をお訪ねした折、そんな子たちの家庭環境の一面を担任の先生に聞いてみました。
「この子のお兄ちゃんも同じような状態で、職員の頭痛のたねです」こう言って、ある兄弟の家庭の
事情を、次のように語ってくれました。
父親のいない母子家庭で育つこの兄弟、朝は遅く登園し、夕方のお迎えはいつも七時前後、園は、
この子たちのために、職員を一人残さなければなりませんが、平気です。
何が忙しいのでしょうか。この子たちの母親は、朝、子どもたちにパン一切れずつ持たせて登園させ
ます。朝食は、まともに与えていないようです。そのためか、他の子たちと比べ、知能の発達がかな
り劣り、みんなと一緒に行動することができません。うわさによると、母親はパチンコ狂とか?
戦後の日本は、教育が根本から見直され、そのため「幼児期は自由が望ましい」という考えが主流
を占めるようになりました。ところが、それを、ある人たちは「拘束せずに、本人がやりたいように自由
にさせたほうが良い」と解釈し、実践したところから、幼児教育は曲折が始まりました。これが、俗に
言う「じこちゅう人間」を輩出することにつながるわけで、多くの識者の嘆き、悲しむところです。
人の意見を取り入れない、自己中心的な考えだけの人間。わが国では、この種の人たちが、すでに
子どもの親となって世代交代が進んでいます。「歯止めが利くのか日本」・・・こう叫びたくなる現況
です。
さて、戦後五十年以上にわたって積み重なった教育の根深い傷跡。これを変えるには、よほどの意
思と時間が必要です。並大抵の考えでは、歯止めは無理でしょう。
しかし、長いスパーンで捉えるなら、次のような考え方もあります。それは、さまざまな汚染に悩む
親たちのハンディを跳ね返すほどの、頭脳明晰な子どもの出現です。
幸いなことに、私たちの周囲には「寿元」という、心身ともに子どもを元気にするすばらしい健脳食品
があります。また、子どもの教育環境も、幼児期はそれなりに何かをさせるべき、という考え方に変わ
りつつありますから、これらの相乗効果で、ひょっとしたら、日本に活気が戻るのでは?
年越しのささやかな初夢をお許しください。
「医食同源2004年新春号掲載」
新春随想「老鶴の寸志」
加藤華上(明日の健康を考える会名誉会長・書家)
「老鶴萬里心」という語句は、年老いた鶴が体力の衰えているにも拘わらず、なお萬里(四万`)の
彼方へ飛んで行こうと思っているという、心意気を表わしている言葉です。
平成十五年十月十八日、私も九十三歳になりました。振り返ってみると、大きな事件が三回ありまし
た。
その一回目。六十六歳のとき、膀胱ガンと腎臓ガンに罹り(このとき、右腎臓を切除)、妻や子ど
もたちに最大の心配をかけましたが、幸いにも死線を越えて回復することができました。このとき、前
会長の加藤寿元先生の奨めで、寿元を五年も前から食べていたし、食養生も教えていただいたので
すが、私の食養生が悪かったために、天は私をガンにして、注意するようにしてくださったと思い、悔
い(食い)改めて、寿元とともに本当の食養生を始めたのであります。
その二回目。八十四歳のとき、膀胱ガンが再発しました。寿元とともに食養生には充分注意してやっ
ていたつもりでしたが、心掛けが悪かったかもしれません。大いに反省いたします。
このとき、これで私も天命で、終わりが来たと思い、自分の葬儀の準備をいたしました。葬儀委員長
もお願いいたしましたし、弔辞も何人かからお願いして、書いていただきました。
しかし、天は、私に何をせよ・・・というのか解りませんが、元気を回復させてくださったのです。
そのときお願いした委員長さんが、何年か後に病気で亡くなり、次に委員長をしてもらう約束をした方
も、病気で亡くなりました。死んでいくべき私が生き残って、送ってくださる方が二人も亡くなると、何
だか申し訳ない気がしてなりません。
その三回目。その後、何ごとも起きず安心しておりましたところ、平成十四年七月(九十一歳)、突然
尿が出なくなり、緊急入院して検査をした結果、腎臓結石ができて、尿線をふさぎ、尿が出なくなった
ことが分かりました。しかし、手術をして三日目に尿を放出して、何とか死ぬことを免れました。
このとき、私は死にそうだとは少しも感じなかったのですが、息子と主治医は、私が高齢者だから、
万一を考えて葬儀を準備しておくよう話し合ったことが、退院して暫くしてから、どこからともなく分か
って、笑い話になった一幕もありました。
四回目はいつでもいいので、今までど通り、平常心で食養と書道を毎日の仕事として、続けてやって
おります。
私は、良い師に恵まれ、良い多くの友人に支えられ、過分の人生であると、毎日感謝しております。
これだけ長生きさせていただいたのですから、天寿も残り少ないと思います。
掲出の色紙は、私の心の言葉です。何かのお役に立てば幸いです。いずれ寿元セミナーがあるとき
皆さまに差し上げたいと思います。
皆様のご健勝を心からお祈りして終わります。
「医食同源2004年新春号掲載」