高齢出産の不安を乗り越えて |
【三十九歳十一ヶ月で初産】
私、タータン(お母ちゃん)の子だと思っていたら、寿元の子なんだネ。だって、みんな
”寿元ベビー”っていうんだもん。
タータンの自慢は、高年齢初産で私を産んだこと、お産が軽く、母乳もあまるほど出て、
しかもナカミの濃い、いい味のオッパイだったということです。
お父ちゃんが転勤になり、三年間、別居生活をしたとき、タータンがお父ちゃんの健康
を心配して、寿元をせっせと食べてもらったら、なんと私ができちゃったそうな。
結婚して十年目、お父ちゃんが四十三歳、お母ちゃんが三十九歳十一ヶ月のときです。
産まれたときは三千四百二十g、五十cm。その後の増え方も目ざましく、一歳のときは
十一kg、七十八cm、現在は十三kgもあります。
食欲おうせい、ごはん(玄米)と納豆が大好きで、「寿元」も上手に食べられます。
とにかく気嫌のいい子だと誰からもいわれるぐらい、グズらないので、いまやみんなの
アイドル・スターです。
(札幌市在住・神崎さん)
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【20分で分娩、母乳も快調】
私は二十代に薬剤師になり、病気で苦しんでいる方々に薬をすすめてきましたが、
何年もこの仕事を続けているうちに、薬による副作用で患者さんの不評を買い、いろいろ
と悩んだ末、転業をいたしました。東洋のすばらしい針灸治療をマスターし、現在沖縄県
金武町で東洋堂治療院を営んでいます。
昭和五十四年の夏、高嶺博ご夫妻のご紹介によりクララ先生宅で薬剤師、看護婦さん
七〜八名と、寿元先生をかこんでの集いがあり、初めて寿元のすばらしさを知り、以来
自分で食しながら、患者さんにもすすめてまいりました。
昭和五十五年に、志を同じくする主人と出逢い結婚しました。その後まもなく、つわりを
感じないままにメンスが止まったのでお医者さんに診ていただいたところ、妊娠と診断
され、寿元を食べていたせいで、つわりを感じないことを体験しました。
また、ずっと疲れを感じないので、ムリな針灸治療を続け、九ヶ月目にはドクターから
仕事をやめて安静にするようにいわれ、そのアドバイスに従いました。
同年十一月十六日に、祈る気持ちで分娩室に入り、二十分ほどで無事、男児を出産。
初産で、しかも高年齢出産にしてはお産も軽く、産後の経過もよく、母乳の出も快調で
寿元を食べてきたお陰と感謝しています。
申(しん)くんも動きが激しく、カゼもひきませんし、スクスクと育っています。
生後六ヶ月で徐々に豆乳に切り替えても下痢もしませんし、離乳食もむりなく過ごせま
した。
現在、一歳八ヶ月ですが、本を読むのが好きで、とくに漢字を覚えてしまうので、
主人と共に驚かされています。
(沖縄県在住・伊礼さん)
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【お産も軽く、わずか十分】
ボクのママは美容師です。たいへん働き者で、いつもちょこちょこ動き回っています。でも、
あまり仕事ばかり夢中になっていたせいか、ずっーと子宝に恵まれませんでした。
妊娠したのは、三十歳を過ぎてからで、いわゆる高齢出産だったようです。初産でもあり、
喜びの反面、不安がありちょっと悩んだそうです。
そんなとき、寿元を知って食べはじめました。いろいろ話を聞き、丈夫な赤ちゃんを産む勇気
が出たのだそうです。おかげで、吐いたり、具合が悪くなったこともなく、ボクが産まれる前日
まで元気に働いていました。
お産も軽くて、わずか十分。出産したあともすぐ食事をしたり、元気いっぱいだったそうです。
出産時の体重は、三千二百六十g。その後も順調で、標準を上回る発育ぶりに、
みんなをびっくりさせています。母乳も半年間、たっぷりとあきるほど飲みました。
固太りで色白。おまけに、ハンサムボーイときていますから、近所のガールフレンドが
うるさくって・・・・。
両親は”とにかく元気で丈夫な子であれば・・・”とボクの発育ぶりを眺めては、ニコニコ顔です。
(函館市在住・三上さん)
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稲國良子(カトリック教会伝道師)
未知!この知られざるものー神秘、奥義という言葉はカトリックの教会の教義
の中によく用いられます。
未知なるものは、人知で悟り得ないのに実在しています。
全能なる神がなさったことですから脱帽し、感謝せずにはおられません。
その未知なる大豆の生長因子を発見した人知にも賛辞を贈ります。
寿元愛好者とともに万歳を唱えましょう。
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難病、病弱を克服して
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【再生不良性貧血を克服!】
哲平は、予定日の前日に生まれましたが、出産時の陣痛はわずか十五分くらいで、
ラクラク安産といったところです。また、受胎中も、ほとんど”つわり”を感じませんでしたし、
いままでの私の健康状態を考えると、ちょっと信じられないくらいです。
生まれたときから色白で血色もよく、担当の先生も看護婦さんも驚いておられました。
現在、わずか七ヶ月で体重は十kgをこえました。とにかく元気で、母親に抱かれるよりも
一人で遊びたいらしくて畳の上をゴロゴロところげまわって、はしゃいでいます。
ほとんど一日中、泣くことがなく、いつもニコニコ笑って人見知りもしません。手がかからな
くて大助かりです。
結婚後七年間、再生不良性貧血で、中絶までもと悩み抜いた私に、このような立派な
子どもを恵まれましたのは、すべて寿元のお陰と感謝しております。
(松戸市在住・斎藤さん)
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【アレルギー体質を食養で】
”ハイサイ、ウガンジュ、ミセーテサイ”(沖縄ことばで”こんにちは、ご機嫌いかがですか”と
いう意味です。
わが家の寿元ベビー、綾平を紹介させていただきます。現在八ヶ月、体重八千六百四十gと、
まずまず順調な発育ぶりで安心しています。
寿元は、妊娠中の健康管理のために、出産予定日の約八ヶ月前から、一ヶ月に一缶の
ペースで食べはじめました。その間、からだの調子もよくつわりもほとんどなく、平穏な
十ヶ月を過ごしました。
昭和五十五年十一月三十日無事に出産。初産なのに、お産は非常に軽くすみましたし
産後に”おりもの”が早くなくなり、気分爽快といったところでした。
綾平も、三ヶ月ごろからミルクに寿元を混ぜて飲ませていましたが、そのころ、ちょっとした
トラブルが・・・。というのは、私の家族は両親をはじめ、皆、アレルギー体質だったのです。
そのため、私ともども、綾平も、急に湿疹が出はじめたのです。
かなりひどくなったとき、寿元先生に会うことができ、個人指導を受けました。
そして、食事の誤りを指摘され、よくなるまで玄米菜食を徹底的に実行するように、そして、
大好きな甘いものはいっさいダメと叱責されました。
いわれた通り、寿元をベースに、食事療法を実行。そのおかげで、一ヵ月後の健康講演会
のときには、肌がスベスベになり、綾平とともに湿疹が落ち着き、毎日を楽しく過ごして
おります。
(那覇市在住・金城さん)
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【病弱ママが”いっき”出産】
ボクは、まだ胎内にいるときから、ずいぶん母に心配をかけたという。というのも母は
とても病弱で、妊娠するなどは思いもよらなかったらしいのだ。
ところがボクは元気そのもので、予定日の前日にとても待ち切れなくて、いっきに
飛び出してしまった。陣痛とかも短時間で、母にもそてほど苦労をかけないで誕生する
ことができたと、ボクもうれしくなる。
生まれたときの体重も三千五百六十g。六十日たったいまは、血色はとてもよいし、
固太りになって体重も六千五百gと、標準以上の発育ぶりである。
近所の人は、わざわざボクを見に来て、”これはすばらしい赤ちゃんだ”と喜んでくれる。
母も、ヒザの上で跳ねて見せると、目を細くして悦にいっている。
おとななんて単純なものだ。
自己紹介が遅れたけど、ボクの名前は「望」(のぞむ)。
待ち望んだ子であったし、また人からも望ましく思われ、希望を忘れず生きて欲しいと
いう思いを込めて、命名したんだって。
母は、ボクを人に見せる度に”寿元のおかげです”という。
ボクも早く、寿元先生という人に会いたいと心待ちにしている。
(岡山市在住・和田さん)
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【パセドー氏病を乗り越え】
ここにご紹介する岐阜県の I さんは「甲状腺機能亢進症」つまりパセドー氏病と診断
を受けながら、食養と寿元によって完全に全快し、三人の寿元ベビーを無事出産したという
すばらしい方です。
病気も、いままで一度も再発することなく、元気に子育てに励んでおりますが、最初の
子どもが胎内にいるときは奇形児の心配をされ、産婦人科医師から何回となく中絶を
すすめられ、ずいぶんと悩んだそうです。
しかし、寿元も相当量食べ続け、その甲斐あって、健康優良児のような丸々と太った
子どもを無事に出産することができました。
三人目のときは、受胎中にほとんどつわりを感じることもなく、出産時の陣痛もわずか数分
間で、分娩室へ入るや否や、すぐ生まれてしまい、担当の医師も看護婦も、
大あわてだったそうです。
最初の寿元ベビー、長男の昭徳くんも、もう六歳(昭和五十年十二月生まれ)になりました。
現在、身長百二十八cm、体重二十八kg。出産時の体重は三千七百g。
二番目の寿元ベビーは、長女の美穂ちゃんで二歳(昭和五十四年十一月生まれ)。
現在、身長八十八cm、体重十四kg。出産時の体重三千五百g。
三番目の寿元ベビーは、次男の泰仁くん(昭和五十六年九月生まれ)で、出産時の
体重は二千九百gでしたが一ヶ月目に四千二百五十g、二ヶ月目には六千gと、
たいへんな成長ぶりです。
I さんは「パセドー氏病という病気をかかえながらいままで一度も中絶することなく、
無事出産することができたことを最高の喜びと感じております」と語っています。
(報告者・井手光義)
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【子宮筋腫の手術をさけて】
弘前市で佐藤内科医院を開業しておられる佐藤巳代吉先生(医学博士)から、
寿元ベビーについてのレポートが送られてきました。
先生は、数年前に肝炎を患ったことがきっかけで、食養生の重要さを知り、以来、寿元や
玄米菜食などの療法を治療に生かし、数多くの臨床例を本紙上でも発表しています。
母親となった喜びをかみしめているのは、拙院の事務員N子(三十二歳)さんです。
昨年、結婚し、まもなく妊娠。しかし、残念にも四ヶ月で流産してしまったのです。
その際、手拳大の子宮筋腫を指摘され、今後、妊娠しても流産の危険が大であるため
手術をすすめられました。
手術=永久不妊を意味することなので、どうしたものかと相談を受けました。
手術をしてしまえば、もうそれまでなので、とにかく、万が一の僥倖を狙ってでも、
手術をしないでがんばってみることにしたのです。
やがて、第二回目の妊娠を迎えました。
寿元を当初より愛用させ、経過をみました。
ところが、どうでしょう。心配されていた流早産の兆候がひとつもなく、しごく順調に、
このたびまでたく、女児を安産しました。
本人はもちろん、家族一家の喜びはひとしうきりで、彼女はいま、
母となった喜びに明け暮れております。
合掌
(弘前市在府町・佐藤内科医院院長佐藤巳代吉)
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【全身性関節リウマチでも】
ボク、徳一(のりかず)、通称”トックン”です。よろしくお願いします。
生まれたときの体重は、二千八百g。その後、二十日目から寿元を食べさせられたせいか、
すごい成長ぶりで、三十九日目で四千八百gにふえました。
いまでは五ヶ月だけど十kg近くもあります。もうおすわりも、ハイハイもできますし、食べ物も
お父さんたちと同じ物を食べています。
お母さんは、ボクがお腹にいて五ヶ月目のとき、運動会の親子リレーに出て、走っているん
です。ちょっとムチャですよね。そればかりじゃありません。ボクが生まれる直前まで、毎日
四歳のお兄ちゃんを連れて自転車で走り回っていたんですって。
驚いちゃうよなァ。
それでも妊娠中、つわりは全然ないし、陣痛も十分もかからなかったほど軽いお産だった
そうです。もちろん、おっぱいもたくさん出ました。
でも、ほんとうのこというとお母さんって、四歳のお兄ちゃんを生んだあと、全身性の関節
リウマチになり、おむつ一枚もかえられない重病人だったのです。だから、お兄ちゃんの
面倒は、七つ上のお姉ちゃんが見たんですって。
そんなとき、ボクのおばあちゃんから、西政次先生を紹介されて、”寿元を食べれば治るよ”
の一言を信じ”痛い痛い”といいながら、必死で西先生の食事療法を守り、寿元を食べ続け
た結果、生まれたのがボクなんです。
これからも、”寿元”に感謝しながら、ボクのお母さんは食べ続けていくでしょうね。
もちろん、ボクも、当然・・・。
(鹿児島市在住・徳一ちゃん)
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【低血圧症など虚弱ママが】
こんにちは、みなさん。ボクは沖縄の鉄腕アトムこと薫、一歳三ヶ月です。
ボクを生む以前のママは自律神経失調症、低血圧症など、病名の付けようのない虚弱体質で、
子どもを生む体力はないだろうと思われていたそうです。
あらゆる薬や健康食品などを使ったあげく、やっと巡りあったのが、寿元でした。
それから毎日一缶、三年間食べ続け、日ごとに元気になり、ボクが誕生したわけです。
それも、出産で一本の歯も失うことなく、つわりも軽く、正常分娩(以前は帝王切開)でした。
生まれたときの体重は三千gでしたが、三ヶ月検診のときは五千九百八十gと二倍の成長。
おまけに、色白で、肌はピンと張りつめ、つややかです。
九ヶ月目のこの頃では、筋力たくましく、階段やテーブルのまわりで歩行訓練をしています。
そんなときは、ママがそばについていて応援してくれるので、ボクはますます得意になって、
訓練に励みます。
性格も明るく、いつもニコニコと愛敬いっぱいです。
(沖縄県在住・薫ちゃん)
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藤井美樹(藤井診療所所長・医学博士)
七年前の大病を契機に、寿元を知りました。
大豆のもつすばらしい生命力を、人間の叡智で取り出した健康食品は
私の性に合っているのでしょう。
お陰さまで、多病息災ながら、医師として自分の仕事に生き甲斐を感じるまでに
させていただきました。
これからも、自然をわが師、わが友、わが生命と考えて努めたいと思います。
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流産の危機を脱して
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【寿元食養で四回目に出産】
東京はいま、うだるような暑さです。皆さんのところではいかがでしょうか。
あいさつが遅れました。ボク、博文と申します。昭和五十四年十二月生まれですから、
一歳と七ヵ月になります。この写真は、今年の三月に撮ったもので、お父さんのカバンを
背負って、ごきげんなところです。でも、重すぎて、ヨタヨタ・・・。
ボクが生まれたとき、お父さんも、お母さんもたいへんな喜びようだったそうです。
というのも、最初は子宮外妊娠で失敗、二回目は流産、三回目は逆子で死産・・・と、
四回目にして、初めてボクが生まれたんですって。
このときは寿元を食べながら、正しい食養をし、慎重に、慎重に十月十日を過ごした
んだそうです。そのお陰で、つわりもほとんどなく、無事、出産。三千二百gありました。
ボクの近所での評判、そっとお教えしましょうか。
それは”頭がいい”んだって。でも、これもやはり、寿元のせいかな。
(東京都在住・博文ちゃん)
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【二回流産、四十歳で初産】
私は過去に二回流産という苦い経験をもっていました。
ホルモンの関係ではないかといわれ、薬を飲みましたがいっこうに体がすぐれません。
五年前、子どもが欲しい一心で、寿元を食べ始めました。
最初は食べにくくて抵抗がありましたが、一日に二〜三回ぐらいみそ汁などに入れて
食べていました。そして三年後に妊娠。
今度は流産することもなく、無事に女の子を出産することができました。
四十歳を超えての初産だっただけに、喜びもひとしおでした。
現在、その娘、友恵も二歳六ヶ月になりますが、生後三ヶ月ぐらいから寿元を茶さじ
1〜2杯、ミルクに入れ、一日に四〜五回ほど食べさせました。
そのせいか離乳食もスムーズにいき、早めに普通食に切り替える事ができました。
特徴としては、胃腸が強いこと。下痢をあまりしたことがありませんし、便秘もなく、
毎日、大人のウンチみたいのをしてびっくりさせています。
私も、出産後の回復が早く不思議なほど快調です。
毎日食事がおいしくて、体重が増えるのが、チョッと悩みのタネです。
私たち母子の姿を見て、いまでは主人も寿元を食べるよになりました。初めは、
”クスリみたいで、こんなもの飲めるか”なんていっていましたが、少し貧血ぎみで
顔色がすぐれなかったのが、食べ始めて体が元気になると、すっかり寿元ファン
になり、いまでは喜んで食べています。
(北九州市在住・藤田さん)
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【習慣性流産でも産めた】
私、昭和五十七年六月六日で満一歳になった美子(よしこ)です。
この写真は、十一ヶ月のとき山口のおばあちゃんと動物園に行ったとき撮ったものですが、
もうしっかり歩いているのですよ。エライでしょ。
もちろん、歩けるだけでなく胃腸もたいへん丈夫で、離乳食を飛び越して、おとなと同じもの
を食べて満足しています。
私のお母さんは、習慣性流産症で、私も流産しかかりましたが、寿元のお陰で丈夫に生まれ、
育っています。私のうしろにいるお兄ちゃんは、妊娠後期から寿元を食べましたが、三歳二ヶ月
で、平仮名、片仮名が全部読め、数も百一まで数えられます。
ですから、新聞のテレビ欄を見て、きょうは何時から何チャンネルで何があると
教えてあげます。
私の最近のいちばんの楽しみは、すべり台にひとりで登って、すべり降りることです。
お母さんは危ないというのですが、私はいうことをききません。
寿元のお陰かどうか、私はとにかく我が強くて、何でも自分でしないと気のすまない
性格のようです。
こういうわけで、おばあちゃんは、妊娠の人を見ると誰にでもお兄ちゃんと私の話をし、
寿元をすすめています。
(草津市在住・美子ちゃん)
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【絶対安静の危機を脱して】
長男が生まれて五年後に次男と、男の子ばかり二人を出産。次男が生まれて三年過ぎた
頃から、三人目はぜひ女の子が欲しいな・・・と話し合っていましたが、なかなか思うように
はいきません。
そのような時期に寿元を知り、妻は一ヶ月に特選の寿元を二〜三缶ほど食べておりました。
ところがそれまで妊娠の兆候すらなかったものが、寿元を食べて数ヶ月して、思い通りに
女の子?を宿りました。
しかし、暑い夏に冷たいものを飲食したり、無理を重ねたせいか、流産しかかり、
年末さなかに絶対安静の宣告。
それでも、せっせと寿元を食べ続け、危機を脱しました。
出産予定は八月二日だったのですが、少々早く、七月二十九日に市民病院で無事出産。
助産婦さんと話をしながらの安産だったそうです。
また生まれて間もなく、母のおっぱいを捜し求めたとのことで、その元気さに
家族全員大喜びで、その名も真理子と命名いたしました。
現在、五歳になりましたが、すこぶる元気で、おてんばそのままです。
(豊中市在住・中本さん)
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数野正(かずの歯科医院院長・医学博士)
寿元を毎日食べることで、肝臓の解毒作用は活発になります。
鮮血が全身を巡ります。
寿元を食べ始めて、初めの三年間は、長年、身体の中に蓄積された
毒と薬品を排泄できたと思います。
次の三年間で新しい細胞が完成され、血液は完全に正常化しました。
次の三年間を過ぎてみれば、十年ほど若返った体調を感じています。
ありがたいことです。
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未熟児・虚弱児を健康優良児に
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【未熟児が五〇日で体重倍増】
はじめまして!ボク、弘規(ひろき)です。昭和五十六年五月十三日生まれですから、
もうすぐ満一歳になります。
この写真は、生後五十日目にとったものです。
丸々ふとって(体重四千三百g)いかにも健康そうでしょう。
でも、ボク、生まれたときは母親がミニママだったせいもあって、体重二千三百六十gの
未熟児だったんです。
多少のハンディはあったけど、以後の発育は順調すぎるくらいで、首も早くからすわって、
三ヶ月中に寝返りをはじめました。
四ヶ月の今、夜は十時頃に眠りにつくと、そのまま一度も目を覚まさずに
十二時間ほど寝ています。
母乳は一日四〜五回、他にお風呂上りに「寿元」スプーン一杯を湯にとかして
食べています。現在、いちばん興味をもっていることは”立つ”ことです。
親にいわせると、足がなかなか強い!んだそうです。
先日、おしりに湿疹ができてしまいました。そこで、おしりに「寿元」をつけてもらったら、
次の日には、すっかりきれいになっていました。
崇良お兄ちゃん(三歳)などは、「寿元シッカロール」と名づけて、あちこちにつけたがり
ます。かゆいところも、すぐよくなるんですって・・・。
(千葉県在住・弘規ちゃん)
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【保育器育ちの健康優良児】
由美でーす。昭和五十七年四月十四日で満一歳になります。
現在体重九kgと標準並ですが、生まれたときは二千三百十gという未熟児で、
一週間ほど保育器に入れられてしまうほどの虚弱体質でした。
というのは、お母さんが子宮発育不全という病気で、体重も三十五kgぐらいしかなく、
お医者さんから”子どもは90%ダメだよ”といわれていたそうです。
そのため、知人にすすめられ、四年前から寿元を食べるようになり、食生活も改善し、
健康の回復につとめました。
まもなく、体重が十kgふえ、衰弱していた体も次第に元気になったのです。
そして、妊娠。どうしても産みたいのと、流産の恐れがあるということで、すぐ入院し、
大事をとりました。約七ヵ月、入院し、無事に私が生まれました。
お母さんのモットーは”小さく生んで、大きく育てる”だそうです。
そのせいか、未熟児だった私も、現在は健康優良児並の発育ぶりで、カゼひとつ
ひきません。
寿元は一日に三〜五杯、お母さんがかんで食べさせてくれます。
離乳食は食べなくても、寿元だけは絶対に食べるほど大好物です。
お母さんが寿元の缶を取り出すと、キャッキャと声を出し、歓迎の意思表示をします。
(桑名市在住・由美ちゃん)
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【ぜん息性気管支炎も全快】
私、”高知美人”?の稚子(わかこ)です。昭和五十四年三月十六日生まれですから、
もうすぐ満四歳になります。
生まれたときの体重は、三千百二十g。現在は十八〜九kgぐらいです。
私は、赤ちゃんのとき、母乳と豆乳で育ちましたが、生後六ヶ月頃、ぜん息性気管支炎に
なってしまいました。
寿元は、そのとき以来のおつきあいですが、食べるようになってから、
アレルギー体質が全快し、いまはご覧のようにスクスクと育っています。
ですから、私は寿元が大好きで自然食品センターへお母さんといっしょに
買い物に行くと、まっ先に寿元の缶を見つけ、おねだりしています。
そのせいでしょうか、店のおじさんは、「稚子ちゃんって、肌が見とれるくらいキレイ。
それに、黒い瞳がクルクルして、可愛いね」と、おセジをいってくれます。
ほんとうだったら嬉しいなァ・・・。
私って、赤ちゃん言葉をまったく知りませんが、一歳頃から、ちゃんとした会話ができる
ようになりました。
お母さんの方針で”テレビを見ゼずに、ラジオで言葉を覚え、音楽などを聞き、
情緒豊かに育って欲しい”ということで、初めから、おとなの言葉から入っていったのです。
おまけに両親、祖父母とも、私とよく会話をしてくれたものですから、
言葉も早く覚えたようです。
(高知市在住・稚子ちゃん)
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【元気です、八ヶ月ベビー】
はじめまして!ボクは福岡県は博多生まれの祐輔、満一歳です。
ボクは、昭和五十八年五月三十日、八ヶ月ベビーとして、この世に誕生しました。
二千百八十gの未熟児として生まれたため、入院生活を余儀なくされたボクですが、
寿元のおかげで無事、退院することができました。
ボクの家族は、みんな寿元党。とくにママは、妊娠中、ボクのために、大量の寿元を
食べたそうです。だからボクは、八ヶ月ベビーでも、実にごきげんな子で、六ヶ月ぐらい
まではニコニコしているか、眠っているかで、泣くことはありませんでした。
近頃ではあちこち動き回り、後追いしたりで、よく泣いていますが、これも元気な
証拠とパパもママも目を細めて眺めています。
現在、ボクは、食事のほかに寿元マルビスを食べ、寿元の粉をなめて、健康で毎日を
明るく、楽しく過ごしています。
全国に、もっともっと寿元ベビーの友ができることをお祈りします。
(福岡県在住・祐輔ちゃん)
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久保道徳(近畿大学薬学部助教授・薬学博士)
寿元には、まだまだ未知の薬効が隠されているようにも思います。
昨年は、加藤寿元先生の長年の臨床体験のほんの一部を現代科学の目で証明
することができました。
これからも、大学の研究室で新しいテーマに取り組み、
寿元の科学化のために、研究室スタッフ一同、がんばりますので
皆さまも、毎日、健康で、社会のためにご尽力ください。
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